昭和42年12月21日  朝の御理解


 (途中から?)
 まずは私自身にとっての(                                       ?                      )。御理解第96節に「世の人があれこれと神のことを口端にかけるのも、神のひれいじゃ。人の口には戸は閉てられぬ。先を知ってはおらぬぞ。いかに世の人が顔にかかるようなことを言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる。」。第96節にこういう御理解があります。「世の人があれこれと神のことを口端にかけるのも、神のひれいじゃ。人の口には戸が閉てられぬ。先を知ってはおらぬぞ。いかに世の人が顔にかかるようなことを言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる。」。私は、自分が(  ?   )、自分がおかげを受けなければならないという事、そこまでおかげを受けなければならないですね。人が顔にかかわるような事を言うても、腹を立てない。先を知ってはおらんぞと。(私共は?)、神様の働きを知っておる。だからこそ腹を立てない。そこんところを(        ?         )。おかげを受けなければならんというのはそこまでおかげをうけていかにゃならんということ。
 こういう信心を身に付けていくためには、こういう信心が、第93節に「氏子は神の守りをしておる者を神と心得て参詣する。守りが留守なら、参詣した氏子は、今日はお留守じゃと言おうが。神の前をあけておくことはできぬ。万事に行き届いた信心をせよ。常平生、心にかみしもを着けておれ。人には上下があるが、神には上下がない。人間はみな同じように神の氏子じゃによって、見下したり汚がったりしてはならぬぞ。」と、これは道の教師に問いかけた御理解のように感じますですね。神の守りをしておる者と、でもここんところの、こういう御理解93節に見えるようなところが日頃の信心にできておらなければ、自分の(      ?      )ない、そういう信心ができておらなければ(        ?      )。93節、96節を、お互いが(       ?      )。常平生に心にかみしもを着けておれと、いう事なんです。また人には上下という事がある、上下があるが、神には、神様には上も下もないのだと、人間が皆も同じように神の氏子じゃによって、見下したり汚がったりしちゃならんぞと。そういう信心ですね、人を軽う見てはならんと仰る、そういう信心が、それこそ神の前をあけておくことはならんぞと、いつも神様をはずしてはならんぞという事でもある。自分の心に神様が留守になってござるところにです、一つ自分の心にかかわるような事を言うと腹を立てる。これでは助からないと思う。そこで、まあ、かみしもが、かみしもというね、侍が裃を着けなさる、いわゆるきちっとした信心をしておくという事である。同時にそれを、人には上下があるが、神には上下はないと。人間の(ところ?)には位もあるし、位もないといったようになるけれども、神様からご覧になりゃあもう一視同人だと、だから見下したり汚がったりしてはならない。
 今日の御理解を(  ?  )いうようなものを感じるわけです。まあ確かにおかげを受けていかなければならないとこう思う。まずはおかげで助からなければというような、儲けを出しておかなければならんと、いよいよ月末にお金を払わなければならんと、というような事が、自分が助かっておるとでなからなければ、いや助かっておるとでしょうけれども、それだけが助かっておるという事じゃない。おかげを頂ければというけれども、それだけではおかげを受けておるという事ではない。こういうようなところが一つ分からせてもろうて、またこういうようなところの信心ができて初めて(    ?    )おかげを受けておるという事になる、(本質的な信心が?)。(  ?  )、御理解93節に「氏子は神の守りをしておる者を神と心得て参詣する」。これはお道の教師に対して(応えておる?)けれども、信心のない者は信心のある者をですね、ああした信心をしよんなさるなあという見方を(   ?   )なんです。ですから私共が、それほどの信心のある者とない物の違いをそういうところに置かなければならない。「守りが留守なら、参詣した氏子は、今日はお留守じゃと言おうが。神の前をあけておくことはできぬ。万事に行き届いた信心をせよ。常平生、心にかみしもを着けておれ。人には上下があるが、神には上下がない。人間はみな同じように神の氏子じゃによって、見下したり汚がったりしてはならぬぞ。」と。94節、95節でも、信者に対する、教師に対する御理解なんですけれども、( ? )で、御理解96節を頂きなおすとですね、こういうような事にならせて頂いた時こそが、私共信心しておる者のですね、助かっておるという事になるのじゃないでしょうかね。「世の人があれこれと神のことを口端にかけるのも、神のひれいじゃ。人の口には戸が閉てられぬ。先を知ってはおらぬぞ。いかに世の人が顔にかかるようなことを言うても、腹を立てな。神が顔を洗うてやる。」というような事を信じる、それを信ずるという事が、(                  ?                )ね。